アルゼンチン産ロードクロサイトの逸話

物語はインカ帝国時代(1438-1572)、現在の南米ボリビアにある神聖なるチチカカ湖周辺で始まります。 

この時代、チチカカ湖のほとりに太陽の神殿がありました。そこには太陽神(Inti/インティ)に仕えるアイマラ族(先住民の一種)の女官達が太陽神に奉公して暮らしていました。

この太陽の神殿には女官の中でもひときわ美しい、長い黒髪で大きく輝く瞳を持つ若い女官ニュスタが太陽神に奉公していました。

※正確には彼女の名前は不明ですが、アルゼンチンに存在する多くの文献には彼女はニュスタ()”と記載されています。

この太陽の神殿は男子禁制で、掟を破る者に対しては死刑が科せられていました。

時代を同じにして、チチカカ湖に隣接する村にカンキという名前のアイマラ族の戦士がいました。カンキは毎日チチカカ湖の向こうにそびえ立つ太陽の神殿を眺めているうちに、神殿内で奉公する絶世の美女、ニュスタを一目見てみたいという衝動に駆られはじめました。             

衝動を抑えられなくなったカンキは、ある日掟を破る計画を実行に移します。カンキは神聖なるチチカカ湖を船で渡り、立ち入りが禁じられている神殿の壁をよじ登り神殿内に侵入したのです。

神殿に侵入したカンキは目の大きな黒髪の美しい美女ニュスタと遭遇しました。見つめ合うふたりは我を忘れるほどの恋に落ちます。しかしそれは叶わぬ恋であることは若いふたりにも明白でした。

ふたりは神殿から逃亡する事を決意します。

インカの皇帝と民はふたりの行いに激怒し、憲兵達にふたりを連れ戻し、死刑に処するよう命じました。また、魔術師にふたりの居場所を突き止め、ふたりの愛が実らぬよう呪いをかけることを命じたのです。 

カンキとニュスタは南へ南へと逃亡しました。時に歩き、時に走りながら何ヶ月となく逃亡を続け、お互いのことを深く知り、お互いを励ましながら逃亡を続けました。 

どれだけ逃亡を続けたでしょう。憲兵隊から逃切り、身の安全を確信した二人は、人気のなく穏やかな土地を見つけ、そこに留まりひっそり暮らすことを決意しました。

この土地が現在のアルゼンチンのカタマルカ州と言われています。この地で二人は沢山の子宝に恵まれ、この家族がディアギータと呼ばれるアメリカ大陸先住民族の起源となり、現在もアルゼンチン北部の幾つかの州に約14,000人ほどのディアギータの末裔が住んでいると言われています。

魔術師達が愛し合う若きふたりに送った呪いは届いていなかったと思われていましたが、伝説によれば、ニュスタは後に呪いに苦しみ死んだと伝えられています。ニュスタが死んだ日の朝、ニュスタの死を伝えるかのように突風が吹き荒れ、村全体が蠢くような大嵐に見舞われたそうです。悲しみに暮れながらカンキはニュスタを山の頂上に埋葬したと伝えられています。

ニュスタの死後、何年のも歳月が過ぎ、年老いたカンキは若くして自分を残して旅立ったニュスタのお墓の隣に自らの身体を横たえました。もう二度とニュスタの隣から離れまいと。

そしてカンキはニュスタの隣で二度と目を覚ますことはありませんでした。

神話は続きます。カンキの死後、インカ帝国からカタマルカ州を訪れていたビクーニャ(南米に生息するラクダ科の動物)使いが山の山頂で二つ並んだお墓の近くを通り過ぎようとした時、石化した血が墓石を覆っているのを発見しました。ビクーニャ使いが近づいてよく見てみると、なんと石化した血は水晶の薔薇をかたち取り美しく咲き乱れていたのです。

ビクーニャ使いはその結晶化された美しい薔薇をインカ帝国へ持ち帰り皇帝へ献上しました。その薔薇を手に取った皇帝は、南へ逃亡し、生涯愛を貫き通したふたりが薔薇の結晶となり咲き乱れていることを悟り、震え上がったとされています。そして薔薇の結晶が発する波動が、罪を犯しながらも愛を貫いたふたりに赦しを与えたのでした。皇帝は、真実の愛の象徴、赦しの象徴として血の色に染まったその石化した美しい薔薇にインカローズ(La Rosa del Inca /インカの薔薇)と名付けました。 

後にニュスタは愛の象徴としてインカ帝国に伝えられるようになり、インカの女達は、石化したバラの花を装飾品にして身に着けるようになったといわれています。

著:Silvana Moreno / 訳:Yasushi Oki